2024-11-16
今回は、スキー場において発生する事故について、どのような場合にスキー場が法律上責任を負うことがあるかについて、いくつか事例を紹介しつつ概略を説明致します。
スキー場の管理者は、利用客が安全に滑走することができるようにゲレンデを整備し安全措置を施す必要があります。その内容としては、全国スキー安全対策協議会が制定した「スノースポーツ安全基準」の「第3章スキー場管理者の責務」が参考になります。
他方で、スキーやスノーボートは自然の斜面を滑走するスポーツである以上、ある程度の危険が伴い、スキー場の管理者がとれる対策にも限界があります。
そのため、上記のことを考慮に入れて、責任の有無を判断することになります。
まず、スキー場は冬季の限られた期間内において、限られた区域内のコースを提供していますので、その範囲外での事故については、以下の1、2の事例のように、原則、責任を負いません。
営業期間中のコース内においては、スキー場管理者にはゲレンデの状態に応じたコースの開閉、適切な情報提供、危険場所付近の注意表示等のほか、場合によっては③、④のように滑走者が転倒するリスクがあることも考慮した上で、相当の安全措置を施すことが求められており、それを怠った場合には、賠償責任が認められています。ただし、スキーヤー・スノーボーダーにも安全に滑走することが求められており、滑る速度、方向など滑走に落ち度がある場合には、「過失相殺」が適用され、認められる賠償額が減額されることになり、3、4の事例においても滑走者の過失が認められています。
事故に遭わないことが一番ですので、コースをよく見て、自分のレベルにあった適切なスピードで滑りましょう。
1.シーズン外滑走における事故
シーズン外において滑走していたスキーヤーがクレバス付近の雪が崩落したためクレバスに落下した事故が生じた事例です。この事例の控訴審の高等裁判所は、リフトを運航してスキーヤーを運送している以上は、スキー場を閉鎖して安全管理をしていないことを周知させる必要があるとし、事故現場付近のコースに閉鎖の表示をしていなかったスキー場側の過失を認めました(東京高裁昭和60年1月31日判決、東京高等裁判所民事判決時報36巻1・2号15頁)。しかしながら、上告審の最高裁判所は、スキー場管理者の過失はないとし、賠償責任を否定しました(最高裁第一小法廷平成2年11月8日判決、最高裁判所裁判集民事161号113頁)。スキー場閉鎖決定から10日以上経過した暖かい日であること、年間を通じて殆ど滑走を禁止していた急斜面であること、前方にクレバスが見えていたこと等を重視し、当時クレバス付近をスキーで滑降すれば危険なことは、危険の表示がなくてもスキーヤーが当然予知することができたことを理由としています。
2.コース外滑走時の雪崩事故
「バックカントリー」と称されている滑走禁止のコース外を滑走し、雪崩に巻き込まれた事故が生じ、スキー場側の土地の工作物責任(民法717条1項)が問われた事例においては、スキー場側の損害賠償責任が否定されています(長野地裁平成13年2月1日、判例タイムズ1180号259頁)。これは、スキー場側の営業許可の範囲外の場所であり、立入禁止標識など進入禁止措置を施しており、スキー場側の支配が及ばない場所である(「土地の工作物」に当たらない)ことを理由としております。
3.コース途中の橋の上での事故
次に、スキーヤーがスキー場のコース途中の橋を滑走中に転落防止用ネットの隙間から転落した事例についてです(東京高裁平成10年11月25日判決、判例タイムズ1016号119頁)。裁判所は、スキーヤーがバランスを崩し制御不能の滑走状態になる場合があることは避けられず、そのような事態にも対応し得る危険防止措置をとる必要があることを理由として、スキー場側の責任を認めました。他方で、スキーヤーにもコースの状況の変化に対応して、危険を回避するため、速度を落とすなどして技量に応じた無理のない滑走をし、危険個所を通過するように努めるべき注意義務があったとし、スキーヤーに6割の過失相殺をしました。
4.誤って別のコースに侵入した事故
最後は、初心者コースに隣接したモーグルコースに誤って侵入してしまった初心者のスノーボーダーがコブに着地した際に転倒してしまった事例を紹介します(東京地裁平成30年3月1日、ウエストロー・ジャパン2018WLJPCA03018002)。
モーグルコースがゲレンデマップに記載されていないこと、ネットやロープによる囲い等がなかったこと、コース侵入箇所に警告表示がなかったことなどから、安全性を欠くとしてスキー場側の損害賠償責任を認めています。他方で、スノーボーダーにも滑る方向、スピード管理につき落ち度があったとして7割の過失相殺がされています。
参照:「スノースポーツ安全基準」の「第3章スキー場管理者の責務」
http://www.nikokyo.or.jp/files/libs/155/202103111113246385.pdf
2024-11-12
Eメールやチャットなど、仕事上、「論理的な文章」を書くことを求められる場面は、多々あると思います。
とはいえ、具体的にどうすれば、文章は「論理的」になるのでしょうか。以下では、専ら文章の形式的な部分について考えてみます。
1 この点、単に自分の思考過程を全て書き連ねれば論理的な文章になる、というわけではありません。
なぜなら、人の思考は、あちらこちらに寄り道したり、突然インスパイアされたりするものであって、それらをそのまま書き連ねても、読み手からすれば、一貫性がない、論理の飛躍がある、といった印象を受けるからです。
それでは、読み手に対し、書き手の結論に至るまでの思考(論理構造)を明確に伝えるためには、どうすればよいのでしょうか。
2 結論として、私は、「一つの文に与える役割を明確にして、適切な接続詞を用いて文と文を繋ぐこと」を意識して文章を組み立てることが重要であると考えます。その理由は次の三つです。
(1) 一つ目の理由は、適切な接続詞を用いることにより、前後の文の関係性が明確になるからです。
例えば、「…である。なぜなら、…だからである」と記せば、結論と理由とのつながりが、誰が読んでも明らかになります。(次の段階として、論証として適切か、という問題が生じますが、本稿では実質的な部分には踏み込みません。)
(2) 二つ目の理由は、適切な接続詞を用いることにより、読み手に対してその後に来る文の性質を予告することができるからです。これによって、読み手に文と文との関係性を意識させながら読み進めさせることができます。
例えば、ある文の後、「しかし」とあれば、読み手には、これから直前の主張と対立する主張が来るのだな、と分かります。また、上記のように「例えば」とあれば、読み手には、これから直前の主張を具体例で説明しようとしているのだな、と分かります。
(3) 三つ目の理由は、文に与えられた役割が不明確だと、その文のうち、どの部分が前後の文とどのようにつながっているのかが分かりにくくなってしまうため、上記(1)、(2)の前提として、文に与える役割を明確にする必要があるからです。
かかる見地から、一つの文に与える役割は原則一つに絞った方がよいでしょうし、一つの文の長さはあまり長すぎない方がよいでしょう。
3 文の役割を明確にするうえでも、適切な接続詞を考えるうえでも、必要となるのは推敲です。
推敲を重ねていくうちに、文中に重複している表現がある、結論を導くためには不要な表現がある、前後の文の関係からして不適切な接続詞が使用されている、といったことに気づくことができます。
その結果、書き手にとっては愛着がある表現であっても、文章全体の論理一貫性のために削らなければないといった事態も生じるのですが、私などは、せっかく書いたのに削ってしまうのは忍びない、何とか残せないか、と頭をひねることも、しばしばです。
2024-11-06
1.医療機関からのお仕事の関係で、医療法を参照することが多々あることから、今回は、医療法にかかわるお話しをしたいと思います。
2.医療法は、病院・診療所の設置(経営)主体として、医療法人という器を用意しています(医療法第39条第1項)。
ここでいう設置(経営)主体というのは、各種の権利義務関係の起点・終点となる者という意味であり、直接医療サービスを提供する者(医師・歯科医師)という意味ではありません。
例えば、契約であれば契約の当事者、監督官庁との関係で言えば処分の名宛人が誰か、ということです。
実務上、診療契約は、医療機関と患者との間で締結されていると理解されていますが、医療法人の場合は、医療法人と患者との間で診療契約が成立し、医療法人が診療契約から生じる義務を負うこととなり、個別の医師は、その義務を履行するためのいわば手段ということとなります。そのため、医療法人が運営する診療所・病院の診療契約に関し、患者から訴えられる場合、医療法人が名宛人(被告)とされることとなり、医療サービスの提供に直接携わった医師が契約責任を問われることはありません。もちろん、個別の医師は、契約責任ではなく、不法行為責任を問われることはありえます。
3.見渡せば、医療法人との名称がついた医療機関がそこかしこにあります。普段は気づかなくても、処方箋や、領収書をよく見れば、医療法人と書いてある場合もあるはずです。
ところで、医療法人には、社団タイプと財団タイプとがあります。社団は社員(人)の集まりであり社員総会において重要な意思決定をします。財団は財産の集まりで、ただ財産だけでは重要な意思決定をすることはできませんので、代わりに評議員が行います。
医療法人の場合、社団タイプに「医療法人社団」と、財団タイプに「医療法人財団」との名称を付すのが通例ですが、この医療「法人社団」、医療「法人財団」という呼び方は、医療業界特有なように思います。少なくとも、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律が制定される前の民法は「社団法人」「財団法人」と定めており、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律制定後も、この法律名を見ても明らかなとおり、引き続き「社団法人」「財団法人」と呼んでいます。
社団形式の法人だから「社団法人」と、財団形式の法人だから「財団法人」と呼ぶのは自然な用法なように思いますし、他の法律においても、「法人」が最後にくるのが通常ではないかと思います。もっとも、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律を除き、医療法人以外に、社団・財団両方ある法人形態というのはないのかも知れません。
4.ではなぜ、医療業界では、医療「法人社団」、医療「法人財団」との名称を付すのが通常の用法となっているのでしょうか。少なくとも、医療法は、「医療法人社団」「医療法人財団」といった呼び方はしていません。「社団たる医療法人」「財団たる医療法人」といった呼び方をしているだけです(医療法第44条第2項等)。ですので、これらを「社団医療法人」、「財団医療法人」と呼んでもよかったはずです。
厚生労働省が作成しているモデル定款・モデル寄付行為の影響かと思って見てみたところ、少なくとも現在のモデル定款・モデル寄付行為上は、「本社団は、医療法人〇〇会と称する。」「本財団は、医療法人〇〇会と称する。」とされており、むしろ、社団・財団の用語がありません(なお、医療法人において、「〇〇会」と命名されている例が非常に多く、これもまた、医療業界特有の法人名の付し方だと思っていますが、こちらに関しては、モデル定款にならってそのように命名されているのではないかという推測はたちます。しかしながら、医療法上、「〇〇会」との名称を付すことは求められていません。)。
5.ひるがえって、医療法上は、医療法人の名称に、「医療法人」と入れるべき義務の定めがありません。医療法人でない者が、その名称中に、医療法人という文字を用いてはならない、とされているだけです(医療法第40条)。
これは、一般社団法人や一般財団法人であればその名称に一般社団法人または一般財団法人という文字を用いなければならないとされ(一般社団法人及び一般財団法人に関する法律第5条)、会社であれば、「株式会社、合名会社、合資会社又は合同会社の種類に従い、それぞれその商号中に株式会社、合名会社、合資会社又は合同会社という文字を用いなければならない」とされている(会社法第6条第2項)こととは対照的です。
ですので、極端な話、「小川町会」といった法人名称でも、少なくとも医療法上、定款・寄付行為の記載事項として問題はなく、医療法人の設立が都道府県に認可されれば、組合等登記令に基づき、医療法人設立の登記もできる、ということとなります。
しかしながら、法人が、いかなる法人であるかを自身の名称において明らかにするのは、当然のことだと思います。法人と取引を行おうとする者からすれば、自身が取引しようとする相手方が、いかなる法人形態の者であるかは、基本的かつ重要な関心事です。社団と財団の違いも同様に思います。
6.なお、医療法が、病院・診療所の設置(経営)主体を限定していないことから、一般社団法人または一般財団法人でもって、病院や診療所の開設許可を受けることもあるようですが、この場合はいかなる法人形態であるかが名称から一義的となります。
一般社団法人及び一般財団法人に関する法律が施行されるまでは、事実上、医療法に基づく医療法人のみが、法人としての医療機関の設置(経営)主体となりえたわけですが、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律施行後は、医療法人と一般社団法人・一般財団法人との規律の不均衡が目立ち始め、医療法人が一般社団法人・一般財団法人を後追いし始めたためか、医療法における医療法人に関する既定は、肢番(〇条の〇の〇)だらけになってきているだけでなく、結局は一般社団法人及び一般財団法人に関する法律を準用し始めています。よい部分を取り入れようとすること自体はよいことだと思うのですが、医療法人を利用する者にとって、分かりづらい法律となっていないだろうかと思う次第です。
ケルビム法律事務所
弁護士 村田 和績
2024-05-02
1 最高裁の判断
最高裁は、使用者と労働者間に職種及び業務内容を技術職に限定する旨の合意(以下「本件合意」という。)がある場合、使用者は、当該労働者に対し、その個別的同意なしに当該合意に反する配置転換を命ずる権限を有しない、と判示し、使用者の配置転換命令を有効と認めた原審の判断を破棄し、大阪高裁に差し戻した。
2 事案
事案は、18年間、黙示の職種限定合意に基づき、福祉用具の改造・製作に携わってきた労働者を、需要の激減・解雇の回避という理由から、労働者の同意なく、総務課への配転を命じたという事案である。
3 原審の判断
原告は、労働契約において職種限定合意が認められるから、原告の同意のない本件配転命令は違法無効であること、仮に認められない場合でも、使用者の配置転換命令は権限濫用で無効であると主張した。
これに対し、原審は、配置転換命令は、原原審で解雇もありうる状況のもと、これを回避されたものといえ、不当目的があるともいえない等の理由により、本件配転命令が違法無効とは言えないとし、一審の結論を維持した。
4 なぜ、同じ裁判所でありながら、結論が異なるのか
一審では、原告が、配置転換命令は、権利濫用であるとの主張もした結果、権利濫用には当たらないとして、原告の主張を退けた。
また、職種限定合意も、黙示の合意の成立を認めた上で、需要が激減している中で、欠員が生じた総務課への配転命令は、必ずしも違法とは評価しがたい、とする。二審も同様の判断である。
これに対し、最高裁は、上述のとおり、黙示であっても、職種限定合意がある以上、使用者は、労働者の同意なく、配置転換を命令する権原を有しないと判示した。
最高裁と原審等の評価の違いは、職種限定契約の拘束力の評価による違いです。原審等は、事後的な状況の変化を柔軟に解し、結果、職種限定契約の拘束力を緩める結果となりました。
これに対し、最高裁は、職種限定契約の拘束力を強く認めています。すなわち、労働者の同意がない限り、使用者に配転命令の権限はないと明言しているからです。
もっとも、このことから、最高裁が、労働契約成立後の事情の変化を一切認めない趣旨か、という点については即断できません。
最高裁は、事情変更の法理を一般的に認めています。すなわち、事情変更の原則を適用するためには、契約締結後の事情の変更が、契約締結時の当事者にとって、予見することができず、かつ、右当事者の責めに帰することができない事由によって生じたものであることが必要、と判示しています(最判平成9年7月1日)。
最高裁が事情変更に言及することなく、上記結論を明示したのは、何より、職種限定契約をした労働者の地位を明らかにし、その保護を図った点にあると考えられます。
5 今後実務で留意すべきこと
最高裁が判示する通り、事前に労働者の同意を求めたところ、労働者の同意が得られなかった、会社は、どうすればよいのでしょう。
1) 事前の対策
労働契約書の中に、予め、例外事由を定めておきます。すなわち、原則、配置転換には、労働者の同意が必要であることを定め、例外事由として、同意を求めても、労働者の同意が得られない場合で、当該限定職務にかかる需要が著しく減少し、企業として、当該限定部門を存続させることが合理性を欠く場合には、使用者は、配置転換をすることができる、等。
2) 事後の対策
ア 改めて、協議に基づき、合意内容を変更する。
イ 所定の退職金額に相当額を積み増した退職金の支払と引換えに退職する。
3) どちらが得か
いうまでもなく、事前に労働契約の中に例外事由を定めておくことです。
2024年4月より、労働条件を明示することを求める労働基準法の改正が行われました。この機会に、今一度、お手元の労働条件通知書等の契約内容を確認してみましょう。
2024-01-30
1 自民党の各派閥による長年に渡る裏金作りの発覚を契機に世間からのバッシングを浴びた自民党は、総裁派閥の岸田派の裏金作り発覚に至って、岸田総理は、岸田派の派閥を決めた。自民党総裁という立場にありながら、自民党内の各派閥解消ではなく、総勢34人に留まる岸田派の派閥の解散を決めたにとどまる。したがって、岸田氏による派閥解散決定は、自民党総裁としての決定ではなく、あくまで岸田派の長としての地位に基づく解散である。
しかし、今回の違法な裏金作りは、派閥を解散すれば済む問題なのか。派閥の存在自体が裏金作りという違法行為の根源なのか。
それは、明らかに違うだろう。政治資金規正法にのっとり、各派閥単位でパーティ券の売り上げ額を正確に記載すべきであるのに、これを記載することなく、所属の各議員にバックペイし、これを受けた各議員も、その金額を政治資金規正法の定めに従って、記載しなかった。つまり、政治活動に使うことを名目に開いた政治資金パーティで集めたお金を一部、自分のポケットにしまった行為が、非難に値する行為として問題となる。
そうであれば、派閥解散は何の解明にも資さない。今回の違法な裏金作りを二度と起こさないという宣言もなければ、その効果もない。派閥解消は世間の目を欺く騙しの手口というほかない。
2 裏金作りは、会計責任者の事務手続き上のミス、と岸田総理は釈明する。
しかし、自民党内の最大派閥の安倍派をはじめ、有力派閥のそれぞれが、金額の違いこそあれ、同じような裏金作りをやっていたことが明らかになっている。同時期に長きに渉り、事務手続き上のミスが生じるということがあるのか。素人が考えても、一派閥の問題ではなく、組織的な犯罪行為と受け止めるのが自然だろう。それをシャーシャーと事務手続き上のミスと言ってのける岸田という総理大臣は、いったいどんな人なのだろう。とことん有権者を馬鹿にしているとしか思えない対応である。こんな子供だましの言い訳をどれほどの人が信じるのか。
3 そもそも、政党において、多数の議員を有する場合、派閥という存在は決して「悪」ではない。党として政策を形成していくうえで、派閥はむしろ必要不可欠の存在である。
今回で悪いのは、派閥という存在ではない。自民党という党組織の中で、「金」の管理が極めてルーズである、という点が問題である。
その点について、何ら原因を探求せず、なぜかかる事態に陥ったのかを有権者に説明もせず、派閥解消でハイ終わりとされたのでは、これほど有権者を馬鹿にした話はない。
有権者には、強力な武器がある。選挙における投票である。有権者としての見識を示すときがやって来た。
2022-09-30
国葬とは、『広辞苑』第六版によれば、国家の大典として国費で行う葬儀とされています。
国葬開催の法的根拠について、内閣府設置法4条3項33号「国の儀式並びに内閣の行う儀式」が指摘されています。この法的性格は、組織規範と呼ばれるもので、行政活動をどこの行政機関が行うかを定めたものに留まります。
誰を国葬の対象者とするか、その基準は何か、という点について、内閣にその決定権限を認めたものではありません。
この肝腎な点を定めた法律は、現在ありません。
ここで皆さんに思い出していただきたいのは、三権分立という制度です。国の権限を三つの機関、国会、内閣、裁判所にそれぞれ立法権、行政権、司法権を分属させることが、国家権力の恣意的行使を防ぎ、国民の福利に資するとして、考え出されたものです。
行政権は、国民を代表する立法権をつかさどる国会の決定に従って、行政権を行使することが原則です。
したがって、政府が、上記法があるから、安倍氏を国葬の対象とすることができる、と主張することは、法的にはかなり苦しいです。
その主張は、時の政府が、自由に国葬の有無を決定できるということとイコールであり、そんな恣意的決定に国葬費用全額が 税金で賄われるということに多くの国民が不満をいだくことは無理もない話です。
それでは、国葬の要件を定める法律がない場合、どのような対応が適切なのでしょう。
こういう時こそ、原則に立ち戻って考えることが有益です。法律がなければ、本来の決定機関である国会の議決による、ということが適切かと思われます。
なお、誤解を生じないよう付言します。人の死を悼み、弔うことは人として大切なことです。その事と、国葬に反対することは両立します。それなのに、国葬に反対する者は非国民であると批判することは、いたずらに、国民の分断を図ると同時に、自分たちの価値観を押し付けるもので、不適切です。
手を合わせる方は合わせるし、手を合わせたくない人は合わせない、人それぞれです。そして、民主主義の本質は、自分と異なる価値観に基づく言動に対する許容性の幅の広さにあるのではないでしょうか。了
2022-09-28
裁判で、対象となるのは、過去に起きた事件です。稀に将来に係る事件も対象となります(騒音被害防止のためのジェット機の飛行差し止め)。
過去に起きた事件をどのように評価していくかというと、関連する証拠(人証、書証、物証)を集め、ストーリーとして主張し合います。相互の主張と証拠の中から、確からしいという筋を見極めていきます。
ですから、一方の主張内容が真実であっても、証拠がなければ、真実と異なる事実が認定されます。こんなはずではなかった、ということになります。裁判所は、決して正義の味方でもなければ、弱者の味方でもありません。裁判所は、法廷にだされた証拠と主張の中から
一番ありそうな事実を見出し、その事実に法令をあてはめて結論を出す国家機関です。
ですから、証拠の有無がとっても大事なことになります。
「そんなこと言われてもわてら素人にはわかりまヘン。」という声が聞こえてきそうです。
こういう時こそ、弁護士を利用します。事件が起きたときだけ弁護士、ではないのです。
この証拠は使える、使えない。この証拠はきわめて強力、それ程ではないが、あるにこしたことはない等々。
また、紛争の種にも目が届きます。「この問題には、こういう準備をしておきましょう。」
皆さん、弁護士をどんどん使いましょう。 了
2022-09-16
皆さんは、公用文について、一般的な日本語の書き方・ルールよりも詳細な慣行があること、今年になって、その慣行が変更されたことはご存じでしょうか。
令和4年1月7日、文化審議会は、公用文作成に当たって、それまでの「公用文作成の要領」に代わる新たな手引とするよう、「公用文作成の考え方」を文部科学大臣に建議しました。
この建議について、同月11日の閣議で文部科学大臣から報告されたことを受けて、同日付で「「公用文作成の考え方」の周知について」が内閣官房長官から各国務大臣に宛てて通知され、古い「公用文作成の要領」の周知を求めた通知である「公用文改善の趣旨徹底について」は廃止されました。
これによって、公用文作成に関する従来の慣行が変更されたことになります。
具体的な変更点の例を挙げると、読点を、それまで使用していた「,(コンマ)」から原則として「、(テン)」とするように変更したり、公用文の一部について、それまで認めていなかった「?(疑問符)」や「!(感嘆符)」の使用を認めたりしています
「公用文」とは、広い意味では、各府省庁において業務上作成される文書類の全てを指す用語です。したがって、公用文の慣行がどうであっても、弁護士の職務には直接関係はしません。
しかしながら、裁判所や検察庁などでは、「公用文の作成の考え方」に合わせた文書が作成されることになります。そのような文書になれた裁判官や検察官などを読み手とする文書を作成する場合に、弁護士としても相手の読み慣れた体裁の文書、すなわち「公用文の作成の考え方」に合わせた文書とすることで、より明確に趣旨が伝わることなどを目指す、ということは、十分考えられることだと思います。
また、一貫したルールに基づくことにより、文書全体に統一性を持たせるという意味においても、「公用文の作成の考え方」は大いに参考となります。
皆さんも、「及び」と「並びに」、「又は」と「若しくは」、「場合」と「とき」のいずれを用いるか、など、用語の使い方について疑問を持たれたら、「公用文作成の考え方」をご一読いただけますと、新たな発見があるかもしれません。文化庁のホームページ上で公開されています。
2022-08-22
1 事実関係
(1)急死
1986年5月19日、夫と妻は新婚旅行先の沖縄に到着、翌20日、妻の友人3人も沖縄に合流。石垣島に向けて出発直前、夫は、急用があると言って不参加。
正午過ぎ、石垣島に到着し、ホテルに直行、チェックイン。しかし、妻は、移動の車中から大量の発汗、悪寒があり、手足のマヒも生じ、救急車で病院に。到着前に心肺停止。一度も正常な拍動に戻らず、15時4分死亡。
行政解剖の結果、死因は急性心筋梗塞。もっとも、解剖を担当した当時の琉球大学医学部助教授の大野曜吉氏は急死に至る病変を認めなかったことを不思議に思い、心臓の一部と血液30㏄を保存した。
(2)保険金支払請求
夫は、妻を被保険者、受取人を夫とする生命保険に4社合計保険金1億8,500万円に加入。保険会社は、被保険者に告知義務違反ありとして支払いを拒絶するも、一審の東京地裁は、保険各社に対し保険金の支払いを命じた。
しかし、二審において、大野氏が被保険者に毒殺(トリカブトに含まれるアコチニン毒)の可能性ありと証言。夫は訴えを取り下げる。
(3)解けない死亡時までの1時間40分経過の謎
別件の横領事件で逮捕勾留された夫に対し、殺人事件でも立件したい警察・検察であったが、アコチニンの毒性は即効性で、妻がビタミン剤服用後、死亡に至るまで、1時間40分の経過が壁となった。
しかし、本件は、連日報道されるテレビのワイドショーを通じ、夫にクサフグを大量に売ったという漁師が現れ、トリカブト以外に、クサフグに含まれるテトロドトキシン毒も使われた可能性が大きくなった。
それでも1時間40分の経過というハードルは残る。
(4)法医学者大野曜吉氏による解読
大野氏は、行政解剖時に採っていた血液の分析を東北大学の協力を得ながら進めた結果、アコチニン毒とテトロドトキシン毒との間に、互いの毒を弱め合う拮抗作用があることを解読した。
ここに拮抗作用とは、アコチニンは、Na+チャネルを活性化させ、テトロドトキシンは、Na+チャネルを不活性化させ、この二つを同時に服用するとアコチニンの中毒作用が抑制される。
しかも、テトロドトキシンの半減期(毒物の血中濃度が半分になるまでの時間)がアコチニンよりも短いため、拮抗作用が崩れたときに、アコチニンの毒が効く、ということを証明し、刑事裁判で証言した。ここに1時間40分の壁は崩れた。
(5)その後
夫は、最高裁まで争ったが、一審判決の無期懲役という結論が覆されることはなかった(2000年2月21日)。
収監された夫は、2012年11月大阪医療刑務所で病死。73歳でその人生の幕を閉じた。
(6)専門家の力
本件は、大野氏による行政解剖時の血液採取がなければ、間違いなく迷宮入りだった。
また、その後のアコチニンとテトロドトキシンの拮抗作用、半減期の違いに思いが至らなければ、夫が本件で有罪となることもなかった。
まさに専門家の類稀な直観と探求心が真相解明に寄与したといえる。
因みに大野曜吉先生は、現在、専修大学法科大学院で教授として元気に法医学を講義されている。
(7)夫の生い立ち
夫の父は、某国立大学の教授、戦後、戦地から戻った後は革新政党の運動に従事し、その間、妻は不倫に走り、子供の前で服毒自殺したとされる。
夫は、一度だけ父と同じ大学を受験したものの失敗し、その後、大学進学をあきらめた。
人生を振り返り、「~がなければ」ということはないものとは十分弁えつつ、夫に同情を禁じ得ない部分があることも事実である。
この点、安倍元首相を銃殺した山上被疑者についても、行為自体は決して許されることではないものの、その動機を知ると、一種の同情を禁じ得ないと、いう事と相通じるものがある。
因みに、評価は、人それぞれ、価値観の多様性の尊重である。しかし、評価の対象となる事実は、できる限り知っておいた方が良い。なぜなら、適切な評価をなしうるからである。
私達も、大野先生に負けぬよう、法律に関わる専門家として、日夜、直観と分析力、説明力を磨いております。皆様のお声掛けを心よりお待ちいたしております。
2022-08-16
ストレスを抱えたとき、皆さんはどうされていますか。
好きな運動で汗を流したり、映画や本で気を紛らわせたり。
私は、先輩から教えていただいた方法を使います。
まず、両手を胸の前で合わせ、ひたすら「感謝、感謝、感謝・・・」と唱えます。効果は人それぞれと思いますが、ぜひ、皆さんも一度試してみてはいかがでしょう。
最近は、似ているのですが、「ありがたい、ありがたい、ありがたい、・・・」と唱えることです。ストレスの度合いはかなり軽減されます。
角度を変えて、考えてみましょう。
まず、ストレスの対象そのものと向きあいます。次に何が自分にストレスを生じさせているのだろうと考えます。次に、なぜ、そんな言葉なり対応なりが出てくるのか考えます。ここでは、相手の立場に立って考えます。その上で、そうした対象をどう捉えれば自分にとってプラスになるのかを考えます。
考えても、「解」が出てこないときに、「ありがたい、ありがたい、ありがたい」と唱えます。
後は逆転の発想で、「ストレスが自分を成長させてくれる」、「ストレスは私の友達」、の心境になれたら・・・
なかなか難しいですね。