2021-11-24
2021年7月の都議会選挙において、複数回に亘る無免許運転の事実を秘して、当選した
木下氏が、辞職しました。
その会見で、問題となったのが同席弁護士による「都議会銀によるいじめ」と、「理不尽な対応」という二つのコメントです。ネット上で炎上中とのことです。
なぜ、こういう評価が出てきたのか、弁護士が依頼人の利益を図る立場にあるとはいえ、見識に欠けるコメントについて、分析してみました。
まず、世間の「辞めなさい」という大合唱と、同席弁護士のコメントの前提条件が大きく離れています。
世間の関心は、無免許運転の事実が投票前に明らかになっていれば、当選しなかった。だから、当選後、法的にやめさせる規定がなくとも、道義上辞任すべきである、という点にあります。
これに対し、同席弁護士は、この点を、意識的かどうか、スルーし、当選自体に瑕疵はなく、辞める法的理由はない、という前提で、形式的に議論を進めています。
ですから、議論がかみ合うはずがありません。
それでは、同席弁護士として、今回の対応は、適切だったのでしょうか。
まず、木下都議が、再度、政治の世界に戻ってくるつもりであれば、不適切といわざるを得ません。日本の文化は、潔さを重視します。問題点を意図的にずらし、周囲を非難する対応に、世間は呆れるばかりか、長きにわたって、この無神経さを忘れないでしょう。
木下都議が、政界に戻る意思がないのであれば、「鼬の最後っ屁」として、笑って済ませるかもしれません。しかし、政界以外の世界でも、木下都議に対する評価が上がることはないでしょう。
次に、世間の関心は、木下都議の道義的責任の取り方にあるのですから、ここをスルーするわけにはいきません。人として誠実さの問題です。ここで、道義的責任はない、と言い切るのであれば、理不尽発言や、いじめ発言も許容される筋でしょう。
しかし、道義的責任を認めながら、法的には当選に瑕疵がないかと議論を進めるのは、筋が通りません。道義的責任とは、辞職であり、当選に瑕疵がないことを前提とする「理不尽」発言や「いじめ」発言は矛盾するからです。
まぁ、4か月近く雲隠れし、責任ある対応を示さなかった人間が、師と仰ぐ知事の言葉によって、辞職を決めたとしても、あまりに遅すぎた決断といわざるを得ず、何より、それまでの木下都議の不誠実な対応は、消すことのできない不祥事というほかありません。