2021-06-28
弁護士にとっての大事は、正確な事実の把握です。また、異なる立場からの考察が不可避です。その結果、自分の価値観と異なる主張に対しても、立場が異なれば、こういう見方も十分ありうるね、となります。
その場合でも、その主張の中に嘘が混じっているときはどうかなと思います。特に、世論に対して一定の影響力を待つと思われる方の発言に関しては、それはおかしいでしょう、と思います。
そのよい教材が、経済学者竹中平蔵氏の表題の発言です。
氏は、その理由の一つとして、1920年4月にベルギーで開催されたアントワープ五輪を挙げます。すなわち、世界中で多数の死者(3千万人とも5千万人ともいわれています。)が出たスペイン風邪の中でも、アントワープは開かれた、だから東京五輪も開催して問題ない、というのです。
しかし、この主張は事実が違います。欧米では、1919年下半期には収束していました。
しかも参加国は、29か国。第一次大戦でベルギーを蹂躙したドイツ、オーストリアの参加は認められませんでした。
これに対し、東京五輪は、100か国以上の参加が見込まれ、先進国の中でも最もワクチン接種が遅れ、とても新型コロナをコントロールしているとは言えない状況です。その日本でどうして安全な大会を開くことができるのでしょう。しかも、100年前と比較して医療技術ははるかに進歩しているにもかかわらず、6月24日時点で、感染者約1億8千万人、死者約390万人、インド株の変異型が新たに感染拡大している、という状況です。
同じ事実を前提に、異なる評価はありと考えます。立場が違うからです。しかし、反対論を叩くのに事実をごまかしてはどうでしょう。いただけませんね。
また、竹中氏は、国が全世界に向かって約束したことだから、国内事情を理由にして約束を破ることはできない、ということも五輪中止を求める世論が間違いとする理由の一つに挙げていました。
これも法律家の立場から見ると、竹中氏は法お律を全く学んでいない、ということが分かります。竹中氏が拠って立つ国家至上主義の立場であっても、法的な知識があれば、このような主張が決して普遍的ではない、ということが分かります。
それは、約束した時点では予想だにしないことが生じた場合、契約内容の変更を認める、という考え方です。今回のような新型コロナウィルスの感染拡大は、誰もが予想していなかったことです。国家か決めたことであれば、どんな状況でもやり遂げなくてはいけないというのであれば、それは第二次世界大戦中、最大の愚とされたインパール大作戦を現代においても貫徹することと大した違いはないのではないでしょうか。
国家の威信を守るためには、国民の10人や20人死んでもやむを得ない、という薄ら笑いを菅総理の背後に感じるのは、心配性が過ぎる、ということでしょうか。