2021-05-13
髙橋氏は、2021年5月9日、新型コロナウィルスの新規感染者数を各国のそれと比較したグラフを用いて「日本はこの程度の『さざなみ』。これで五輪中止とかいうと笑笑」とツイートしました。
世の多くは「さざなみ」という表現を問題視します。他方で、この発言を童話『はだかの王様』の「何も着ていない」という子供の発言に例えて、真実を言っただけ、と擁護する立場もあるようです。
紛争の解決を目指す仕事柄、相手の立場を考えることが日常である私の感覚では、「評価」は人様々であり、高橋氏の表現は、なるほど、こういう評価もあるのね、と受け止めます。もとより、当該表現の当不当、好き嫌いはあるにせよ、です。
確かに、事実として、例えば、イギリスの感染者数、死亡者数に比べ、日本のそれらは約10分の1です。アメリカのそれらと比較すると、日本の場合は、約100分の1です。
この発言で、最も問題なのは、前提条件の違いを一切捨象し、特定の部分だけを取り上げて、批判する、その前提として高橋氏の評価が正しいのだ、とする点です。「笑笑」という表現は、まさに、「世の愚か者たちよ」、という優越感に浸った上から目線のもの、ととらえるのは、かたよりすぎでしょうか。
氏の発言で取り上げられているのは、「新型コロナウィルスの新規感染者数」と「五輪」
の二点です。このうち、感染者数は同じ土俵で比較対象としてもおかしくありません。しかし、「五輪」はまさに日本で行われるもので英国やアメリカでは開かれません。この事実の違いを無視して、五輪中止の是非を論じるのは、いかがなものでしょう。
感染者数という絶対値は、英国に比べ圧倒的に少なくても、現実にワクチン接種の遅れ等により感染をコントロールできていない日本の状況下で、新たに世界中から大勢の選手や関係者を受け入れることは、更なる感染拡大につながるのではないかと心配することは、むしろ、当たり前だと思います。
氏の「笑笑」という表現に、高橋氏の人としての「傲慢さ」を感じるのは私だけでしょうか。『はだかの王様』の子供になぞらえて、高橋氏を擁護する立場も、五輪開催による感染拡大の危険を考慮していない点で、不適切と受け止めています。